§1-2 日本語に「私」が出てこない

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※本記事は書籍『英会話イメージトレース体得法』の一部をWeb公開したものです。

英語にはThe teacher got angry at meにあるようにmeが出てきますが、日本語では「先生に怒られた」とmeに対応する「私」という単語がありません。これは日本語と英語のどのようなモノの見方の違いに由来しているのか見てみましょう。

 

・日本語の全体イメージ

日本語の全体イメージを見てみると、私(太郎)は枠内(言葉で明示的に表現されている部分)にいない状態です。このような日本語のイメージをたとえるならば、ゲームセンターによくある、手元の銃で画面上の敵を倒していく「一人称ゲーム」のような画面と言うことができます。

「一人称ゲーム」では画面はプレイヤー自身の視界そのものになり、プレイヤーの全体像は見えません。要するにプレイヤー自身を場に埋め込んでしまっているわけです。

 

・英語の全体イメージ

一方で、英語の全体イメージでは、太郎はmeとして全身が映っています。このような英語のイメージをたとえるならば「インベーダーゲーム」のような画面と言うことができます。

「インベーダーゲーム」ではプレイヤーを表す自機が画面上に映ります。要するに「自機」も「敵機」も同じ1つの登場人物として出てくるわけで、本来自分自身には見えないはずの「私」が場に出てきているわけです。

 

中学英語イメージリンク

日本語では登場人物を省略することが多い

日本語では「私」以外にも登場人物を場に埋め込むことがあります。次の例文でそれを確認してみましょう。

(信一がマンガを持ってきて)
信一 これ貸してあげるよ。
太郎 まじで! やったー。
 
Shinichi I can lend you this manga.
Taro Are you sure? Great!

 

日本語では「これ貸してあげるよ」ですが、英語ではI can lend you this manga.(にこのマンガを貸してもいいよ)と言います。

日本語では話し手である「僕」以外に、目の前にいる「君」や手に持っている「マンガ」も場に埋め込んでしまって、言語化しないのが普通です。目の前にいる・あるのだから言う必要はないという感覚です。

 

もちろん日本語で「これ君に貸してあげるよ」と言うことはできます。しかし、その場合はわざわざ「君に」を場に浮き上がらせているので、何か意味があってそう言っていると解釈するのが普通です。そのような余地が含まれてしまうわけです。

それはたとえば「他人には貸さないけれど君には貸すよ」というニュアンスかもしれません。このあたりは文脈から推察するものなので一概には言えませんが、ストレートに「これ貸してあげる」と言うよりも何かの意図を含みやすいということになります。(何も含まないパターンもありえます)

 

一方で英語では、そもそも誰かの視界を前提としていません。ある意味、真っ白なキャンバスに絵を書いていくような感じで、そこにyouがいるのであれば、当然youと表現しなければいけません。

またmangaもそこに存在する以上、英語ではthis(これ)だけでは不十分でthis manga(このマンガ)と表現しなければいけないわけです。登場人物はモノも含めて言語化しなければいけないのです。

 

【Coffee Break】学校の英文法や英文読解の大きな間違い

今井 いまの説明を聞いて思い出したのですが、中学生の頃、英作文に困って、英語の成績がいい友だちに「どうすればいいの?」って聞いたことがあります。そうしたら、「わからなかったら、逆から英語に直していくといいよ。英語と日本語は逆だから」って言われたんです。「なるほど」と思って、実際にやってみたんですが、うまく英作文できなかった。いまにして思えば、日本語では登場人物がけっこう省略されていたからなんじゃないかと思いました。

遠藤 日本語に出てきていない人物は、逆にしたところで字面上は存在していないから、英語にできません。逆に言えば、英語では登場人物をすべて表に出さなければ歯抜けになってしまうということですね。

今井 英作文する前に、日本語の「先生に怒られた」を「私は先生に怒られた」にしないといけなかったわけですね。

遠藤 自然な英語The teacher got angry at me at school yesterday.を日本語訳すると「先生は、怒りました、私に向かって、学校で、昨日」となりますが、これだとテストでは○をくれませんよね。そこで組み替えていって「昨日、学校で先生は私を怒った」、これをもっと自然な日本語にして「昨日、学校で先生に怒られた」となるわけです。このように日本語としての自然さを追求すればするほど、自然な英語からは離れていってしまうのです。

今井 それはすごく重要で、ぜひ知っておいて欲しいことですよね。というのも、大学でネイティブと日本人のグループで話しているときに、ある英語の成績が良い男子学生の話す英語がすごく不自然だったんです。もちろん、日本人英語なので僕は言いたいことがわかりましたが、ネイティブはよくわからなかっただろうなって。そのとき、彼は英語を日本語訳するのはうまいんだろうけど、英作文は苦手なんだろうなって思いました。

遠藤 学校の英文法や英文読解って、英語を日本語の世界観で捉えようってことですからね。それに習熟すればするほど、英語を日本語の世界観に押し込んでしまい、英語の世界観をつくる障害になってしまうんです。ある意味、悲劇みたいなものですね。

今井 近づこうと努力すればするほど遠ざかっていくみたいな感じですね。

 

英会話イメージリンク習得法

【Coffee Break】日本語的な世界から英語的な世界への移り方

今井 英会話の初心者だった頃、主語に何をもってくるかがずっと課題だったんです。特に「私」が関係する場合が難しかった。たとえばさっきの「先生に怒られた」は、やっぱり「私」が中心だと感じていたので、「私」を主語にもってきてI was scolded by the teacher.とするのが当然だと思っていたんです。

遠藤 何がきっかけで変わったのですか?

今井 一人称ゲームをチームでプレイしていたときに、仲間のネイティブが敵に撃たれたんですね。そのときに仲間のネイティブはHe shot me!って言ったんです。これがきっかけでした。

遠藤 どういうこと?

今井 僕から見たら、敵(he)が・撃つ(shot)・仲間のネイティブ(me)を、という流れがきっちり見えたんです。

このときに、「あっ、自分のことを言うときでも、一旦ほかの人に乗り移って、そこから自分自身を見ればいいんだ」って思ったんです。

遠藤 すごいですね。第三者に乗り移ってしまえば、meって表現できるようになりますもんね。いまでもそういう風に第三者に乗り移って、モノを見るようにしているのですか?

今井 いえ。最初はそうだったんですが、次第に第三者に乗り移らなくても、英語が話せるようになっていったんですよね。理由はよくわからないんですが。

遠藤 今井くんの「第三者に乗り移る」というのは、日本語的なモノの見方をうまく応用していると思います。というのも、日本語は場に臨席するように物事を表現するので、第三者の視点に乗り移るのは比較的やりやすいからです。

ポイントは、そうすることで「私」を客観視できるようになったということなのでしょうね。やっぱり日本語で難しいのは「私」の存在ですから。

そうして、「私」を客観視することに慣れていって、次第に「他人」に依存しなくても全体が見えるようになっていったのでしょう。つまり、神の視点のような俯瞰図で物事が見えるようになっていったんだと思います。今井くんは日本語的な世界観をうまく活用して、英語的な世界に渡って行ったんですね。

今井 そう言われるとそうかもしれません。当時は必死に英語を話そうとしていただけなので、そこまで考えていたわけではありませんが。

 

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